えいがをみた

就職目指しつつ、フリーでお仕事もやっております。生活生活。

さて何本か映画を観ました。

DVD

『休暇』

映画は省略の芸術だとはよくいったものだ。
作中本来なら省略されるべき箇所はじっくりと見せ、
死刑囚の客観的な要素はなるべく省略していく。
どうして死刑に?
何をしてしまったの?
それらのわからない。が不気味な興味に変動していく。
それでも彼を含む、彼らは動機のことばを吐くことは無い。
強制的な死を前にして見せた彼の行動、
彼に強制的な死を突きつけた彼らのその後の行動、
すべてが映画になって体にこころに焼き付けられる。
所謂犯罪者を描いたフィクションは少なくは無いが、
その殆どが逮捕が終焉である。この映画は人の終焉は死である。
ということを突きつけた、ヘンなことばになってしまうが快作であった。


『終わってる』

それぞれの主張と意見が静かに飛び交う映画。
これも省略されてしまう部分をふしぎな俯瞰で追う映画であった。
「これって『意見』を人物が吐き出してるだけだよな」
という違和感が「あ、でも本音を隠すときって『意見』を繕うよな」
という発見に変わり始める。
そのころには驚愕の人物が登場する。
今泉監督本人が演じる「彼」は生者は誰も反論できない『意見』を叩き付ける。
文字通りスマッシュで。
昨年、今泉組に録音で参加し、撮影打ち上げで監督がお酒を飲みながら言った言葉と
同じ言葉で、どきりとした。



麒麟の翼』

良くも悪くも東野圭吾的。
先に述べた終焉は、事件関係者全てに訪れる。
色々な余波を与えつつ。
にしても、やっぱり、描いて欲しい「彼」の将来が気になる。
「彼」の続編を書いてくれたら東野圭吾、すきになるよ。