畜生PFFめ

PFFアワード2011に行って来た。
東京会場なんて、5年ぶり。ってかつての渋谷東急での上映はなくなり、
国立フィルムセンターでの上映。これが、また不思議で立派な建築物。

観たのは2本。以下雑感など。

『ダムライフ』(北川 仁監督)

ダムの工事現場で倦怠な作業を始める6人。1人の男は「はいはい」と返事はするが、
極端なイエスマンで作業にならない。やがて男のイエスマン振りをおちょくりはじめる周囲の作業員たち。
エスカレートする虐げられと虐げをシニカルに描くと思いきや、
血まみれの殺戮へと進展する、きもちわるさをきもちよく進行させる。
なかなかの力技が光る作品。

監督さんが上映後のインタビューで「笑ってほしかった」と仰っていましたが、
可笑しくもないので、笑えない。
「笑ってほしかった」が「笑わせてやる」の指向になれば、
もっと煮詰められた映画だったのではないだろうか?


『(TAITO)』(縁朗監督)


とある、会社で働いていた女性が自殺を遂げる。
社員たちほぼ全員は部長による、過度な説教と圧力が原因であると分かっている。
それでも悪びれない部長。女性の遺書をもみ消す部下。その行為に疑問を抱く部下。
部長の態度をけなすでもなく、バカにし続ける部下たち。様々な善悪に対する感情が
交錯し、その均衡と調和とはなんだろか?と投げかけるような作品だった。
カメラワークもぐるぐる落ち着かないけれど、「でもどうしよう」という感覚に陥れ、
びたりと嫌ーな感触で止めが入る。好きなカメラ。ビデオだからカメラ。(映画でもカメラっておもうけど)


観ていて感じたのは、部長を相対化する部下たち。
彼らの言葉はまるで1つの統合思念のように感じられた。
「これは監督の呪いなのかな?」
と思っていたら、監督さん自身はこれに近い実体験をし(自殺かどうかは確認していない)
部長にあたる人よりも、その部下たちに違和感を感じたそうだ。
その違和感と憤りを映画にした。と。
では、その違和感、憤りをその時にぶつけたのか?もしくは映画化する際に、
部下にあたる人たちのきもちを探ろうとしたのだろうか?
思わず、質疑応答で質問してしまった。答えは、それはしていない。とのこと。



二作品に共通するのは、ひとりの「あくまのような人間」の為に災禍に巻き込まれる
人たちの事であるということ。
しかし、その人たちが、完全にフィクションの為に回転している歯車にしかなっていない。
歯車すらにもなっていないように感じた。
彼らの仕事にしても、画面から伝わってくるのは、
なんとなく工事現場なだけであり、なんとなく会社なだけである。
『ダムライフ』はダムが主役でもあるので、とても重要なひとつのキャラクターであるが、もやっとしたものでしか描かれない。それを笑ってほしいと監督さんは仰っていたが、
笑わすのであれば、もやっとしてはいけないのではないか。


『(TAITO)』では肝心の自殺女性がどのような仕事でミスをしたのかが全く分からない。
これでは迫真の演技を見せた部長さんの背景がうすーく見えてしまい、
「ああ、映画だから大丈夫大丈夫」と思ってしまうのだ。


モンスターがモンスターに見えるのは、「モンスターだ」という人間が人間であるからなんだと思う。で、それを工夫して歯車と化させ、観客にその仕組みは見せない。(敢えて見せる手もあるかもだけど)ってのはどうだろうか。
などと思ったけれど、両作品ともに監督さんの血肉を削ったかのような呪詛が込められているような、いい意味でのもやがかかっており、「ああ、これこれ、これがPFFなんだ」とも思う僕もいるわけで。ストレートに賛美される創造物より愛おしいのだから、めんどくせぇな。畜生め。


などと思いながら、帰路についた。

PFF残りわずかですが、是非是非。
東京以外でもきっと上映されますので。乞うご期待。

http://pff.jp/33rd/