ごらくの血

『chain』(監督・脚本:加治屋 彰人)を観てきた。


ひょんなことから監督の加治屋くんと知り合って、以前CO2の『スクラップ・ファミリー』を観させていただいたこともあり、それが何かよかったので、前作をば。と。


何をどう観ても浮かぶのは、コロンバイン高校での無差別殺人事件を題材にした『エレファント』であるのだけど、おそらく感化された事件は池田小学校の無差別殺人事件ではないだろうか。


『エレファント』にしても、無差別殺人、通り魔事件を扱う報道などにしても、敢えて情報を散漫にすることで、事件そのものを過去の穴に無理矢理カテゴライズして埋めようとしているみたいで、僕は気持ち悪かった。(『エレファント』は多分敢えて、その違和感を利用していたと思うが)

『chain』は多数の主人公を抱えた映画のように見えるが、きちんと主人公は存在し、
散漫に飛び火した災禍や葛藤は主人公に降り注ぐ。そして、主人公の女の子の「きもちわるい」「きもちいい」が取り憑いているのだ。
だから、ふわふわの犬を失う哀しさも。
本当に分かり合えると思った友人の裏切りも。
あの災禍を通して「これから、どうしよう」と思ってしまえるのだ。


加治屋くんはあくまで映画。
しかも娯楽作品としてこれらの事件や、ひとごろしに向き合うというか、喧嘩売ろうとしたんだと思う。『スクラップ・ファミリー』でも感じられた、その粋はよりどす黒く重くこの作品にのしかかっていた。


で、あるならば。どこかで観た表現、ことば、などはとても便利ではあるのだけれども、映画の中で過去のものとしてカテゴライズされてしまう可能性もあるのかも。


あの子が校門を出た後、何を話したのか。…ってそれはもう『ユリイカ』か。くそう。