たのしくてもいいのに

コクリコ坂から』を妻と観に行った。


冒頭、ふつふつと朝が迫って、ことことと朝ご飯の支度、ユニークな造りのお家(寮?)に
ユニークな住人達の食事。なんでもない会話と食事がなんだかわくわくする始まり。


主人公の通う学校のキーポイントになるクラブハウスもわくわくする造りで、
色んな文化部がひしめき合うってのも楽しい。
でもどうして、響かないんだろうか。響かせようと鳴っている音楽がとにかく多い、大きい、
せっかく抑えた演出とシンプルな台詞が陰にしかなっていない。


展開は「安っぽいメロドラマ」そのものなんだけど、それに直面した青年と少女の苦笑いだったり、
薄い交流の断絶だったり、胸を締め付ける葛藤は確かに演出できているだけに勿体ない。


「この音楽が、この歌が使いたい!」って意思もよくわかるのだけど、それだったらいっそのこと
ミュージカルにすればいいのに。
それだったらいい大人しか出て来ないし、そんな衝突もないドラマでの
「いい大人もいるんだな」という台詞の薄っぺらさも、たのしく響くと思う。


たのしくちゃいけないんだろうか?
戦後だから?
でも本編中で戦争の爪痕を感じるシーンはなかった。
船が沈没するシーンはあるけど、あれは誰の回想でも体験でもなく、ただ観る側に記録を突きつけているだけで、
全然「伝わってこない」。


悲しいのに何故踊るの?唄うの?とタモリさんは憤慨されていましたが、
それを逆手に取るくらいのダイナミックさが手法にあってもよかったのかも。


けれど、踊って「もうかえるねー」って唄ったら、無視しようがないから、胸は締め付けられんのか。ううん。