おっぱいはないけれど「お母さん」に徹したのですね。

1週間程前に「八日目の蝉」を観た。前日の飲み会の席で知り合った、ライターの方の批評文を読んでやっと観る気がおきました。
ざっくりその批評を引用すれば「乳房をみせろ」ということ。

たしかに前半で、画面とか客側を意識した肉体隠しカットが2つあり、
おっぱいファンではない者としても、「そこは肉体が出てないと・・・」と思ってしまった。
そこで現実味を欠いてしまっては、「映画か」と安心してしまう。

しかし、どこか影のあるライターを演じる小池栄子(この影はもちろん重要な鍵となる)や、
笑いと恐怖の線をぎりぎりで渡る、余貴美子さま。(爆笑したけど)
そして気合いの入った森口瑶子と本気でこの森口さんを怖がっているかのような子役の渡邉このみちゃん。


と、主役たちを取り巻く人物描写がまさにてんでばらばらにぎりぎりの世界を生きていて、それが映画をぐいぐい引っ張っていた。
そして、あのアレのあのフェリー乗り場のシーンである。
クイール』の寺島しのぶの反則台詞を超える名台詞。
母や父に殺意を覚えた、愛情を感じながらも納得できなかった、
そんなひとたちにはもっと響くことばと姿勢ではないだろうか?
もう、そこで映画が終わってもよかったのだけれど、一応、主人公は八日目を迎える的なまとめもある。
これもダラダラせずにカッツンと終わらせてくれる。
エンドロールはどう考えてもあの歌だろう。
と思うものの、やっぱりタイアップは避けられない、中島美嘉さんの歌が流れだしたので、
この余韻は暗闇にしておきたい。と劇場を脱出させていただいた。