LINE みてきた

10/17
大阪へ。

妻とともに中崎町を歩く。路地の中に点在するカフェやら雑貨店やら。
彷徨ってカレーを食べる。妻はおばんざい定食だが、僕のカレーが少ないとみて、どんどんおかずをカレーに投げ入れる。
絵はがきとかクッキーを買って、梅田をぶらぶら。モッズコートモッズコートと探すが、気付いたらPコートを買っていた。


夜は別行動。僕は、十三の映画館、第七藝術劇場へ。
専門学校の先輩である感じだけど、同級生の小谷忠典監督作品「LINE」を観に行くのだ。
十三はネコハコベ〜のロケ以来。ぷらぷら劇場へ向かうと監督が劇場前で立っていた。二年前に東京でお会いしたのだが、何だかすぐ分かった。

何か知らんが、はちゃはちゃに気持ちがテンパってしまい、会話ができない。
気を使わせてしまってもうしわけない。

で、映画上映開始。


小谷監督の生まれ育った町、大阪、大正区の説明が少し入り、そこからはひたすら外なのか内なのか冷たいような温かいような。とにかく切り取られた視界と聴覚が父親と町を捉え出す。
名前を付けるなら憎しみで、さらにその憎しみに名前を付けるなら・・・という感じで、
映画の中では明らかに小谷監督の内省が止めどなく流れているのに、
僕の父こととかが漂い始める。
なんだこれは。と思っていたら、狙いを定めないままカメラは沖縄へ飛び出す。
飛び出したと思うと、コザの娼婦たちを見つめ出す。
それも容赦なく見つめる。
聞く事もない。
「そこの壁にもたれて」
とか日常をつなぐ言葉と、爆音らしき音楽が遠くで聴こえるだけ。
見つめていたはずなのに、娼婦たちが見つめている。目とかだけではなく、鼻息とか皺とか。


少しのモノローグと会話にすらなっていない、お父さんとのことばの投出し合い。
それでも、父を、恋人の息子を、キャッチボールする2人を、散歩に連れていかれ頭突きを食らわされる犬を、カメラはカメラでなくなって、じっと追いかける。もう、僕の目なのか小谷監督の目なのか、他の誰かの目なのか。ぐるぐるしてくる。


映画というのは実のところ自己表現の塊なのだと思う。
自己ドキュメンタリーは、その極限のようなもので、時に観る側へ自分のウンコを投げ出す覚悟もいるし、観る側もダメージを受けることが多い。
もはやそれに耐えられる自分はいないだろう。と、ドキュメンタリー映画は観ないようにしてきた。
ここに来て途方もない位、自由度が高く、芯のあるドキュメンタリーを観たような気がする。


僕はこのくらいだけど、あなたはどのくらい?どのくらい最低ですか?それでいいかどうかは分かんないけれど、続くんだよ。
探って分からなくても、分かってしまっても、続くんだよ。
ことばもなく、人生に映画を持って帰ることが出来た。久しぶりに。


舞台挨拶で監督は「映画の中で星の数程のひとの悲しみや喜びを観て、自分の中にそれを見つけることができる、映画館という場所は僕にとってそういう場所で、自分の映画が今映画館でみなさんに観てもらえて嬉しいです」と言っていた。その言葉の全てがぎゅうっと詰まっているんではなかろうか?


未見だったが、併映していた「アヒルの子」監督小野さやかさんは小谷さんとは真逆のアプローチ(まさに客から「うんこを投げられた!」とまで言われたそうだ)で作品に臨んだらしい。その言葉の節々がとても強い。強いけどたのしい。たのしいけどなんか寂しそうで、面白いひとだなあ。とおなか一杯の舞台挨拶だった。


思わずパンフレットを買い。こそこそ2人にサインを貰いにゆく。小谷監督に「あ、アヒルの子観てないやん!」とつっこまれる。
専門学校時代の先生もいらっしゃっていて、ちまちま話をしてエレベーターのドアに挟まって、宿泊先に戻る。


無性にいろんなウマいものを食べたかったので、種類の多そうな狭いんだか広いんだかよくわからん居酒屋で妻と酒を呑んだ。