せきは何度でも おんがくも何度でも

蓄膿症的なのは静まった。
しかし、やはりというか、まさかというか、咳が止まらなくなる。


本日は晴天なり

本日は晴天なり


こいつも聴くのを止められなくなる。
サニーデイ・サービスサニーデイ・サービスたるのは、曲が曲以上の何かをうそぶかないのだ。
映像が浮かぶでもない。
自分勝手な思い出が重なるでもない。
ただただ、曲が曲として聴こえるだけなのだ。
だから何度も何度も。音楽は何度でも。

しかし、そういうものをつくるのは、相当なアレなんだろう。
だからなくなってしまったんだろう。
なくなってしまうんだけれど、本人たちが「何度でも」と思ったから。また。なんだろう。