長い日記

祖母がいる。
僕は夜勤の仕事に行かないといけない。夕食を用意するのは僕で、今日はやきそばと餃子を食べようと下準備を進めていた。
祖母が来た。
祖母はやきそばと餃子をまとめて焼いてしまった。
僕は激怒して、やきそばと餃子が一緒に焼かれたフライパンをシンクに投げ捨てた。
もう一度作り直せ。
僕が食べたかったやきそばと餃子を。

そういう夢から覚めたら部屋は真っ暗だった。
真っ暗で、時間すら止まっていた。というよりも何時か、何分なのか、体が教えてくれなかった。
手探りで見つけた携帯電話で時間をようやく把握して、まだ出社の準備を始めるまで1時間くらい時間があったので考えてみた。
どうしてこんなに、しんどいんだろう。
どうして目の前のことをどっしり受け止めてしまうんだろう。
やきそばと餃子がまぜられたっていいじゃないか。
食べなければいいことだし、フライパンを投げて吠えることはなかろう。
流すことが大事なのかもしれない。
いや、流せないことが「要素」だ。僕自身の何か骨なんだ。嫌な骨。

無駄足、無益、言い直せば貴重な経験。酔ってしつこく非理論的な説教を垂れる、丸いおじさんに僕なりの正論を面と向ってぶつけても、一杯500円のビールがお気に入りのポロシャツにかかるだけだ。
ポロシャツは悪く無い。
だから腹が立つ。
しかし、ポロシャツで済んだと思えばいい。

おお、これだ。これでうまくいけるぞ。ふふふ。今日から僕は映画づくりも職場での姿勢も、いい具合になるに違いない。
そう思い、ここに書くに至った。
書いている途中で、ビールをかけられたのが、大切なひとだったらと思うと、今迄の思案は無駄で無益で貴重だったなあと笑い飛ばしながら、あのやろう○◎○○してやる。と怒りが込み上げてくる。

投げるフライパンもないし、フライパンとかビールを投げるような人間になりたく。そう思っているだけ、まあいい具合か。

崖の上のポニョは誰が何と言おうと、おもしろかった。というより大好きな映画になった。