キルスティン考

どうも。クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーのアルバム聴きながら踊ってたら、自分の手を掻きむしった僕です。

先日ソフィア・コッポラ監督「マリーアントワネット」を観て来た。

撮影さんは「ロスト・イン・トランスレーション」の撮影もされておって、他にも「バッファロー66」とかも。好きなというか、女性を巧く撮れるのだ。

そんでもって、その女性がちょっとクセがある。今回のはすごいクセのある、キルスティン・ダンスト

かつて「スパイダーマン」でのヒロインで驚愕。これがヒロインかと。そして「エターナルサンシャイン」では登場から15分程、キルスティンとは思わず、「奇麗なひとだな」と思っていた。

笑顔が「うしおととら」に出て来そうなくらい歪んでいるときがあり。そんなときは「ぎゃあ」(太文字)と唸る。

で「マリーアントワネット」では、そのクセが活かされたまま、かわいい→美しい→奇麗。と変化を続けるキルスティンを活写していたと思う。

稚拙ながらも「女のコを撮るのうまいですね」と言われたこともあるので、その仕組みをグリグリ考察してました。きっと監督も、撮影さんもマリーアントワネットのイメージはごっそり忘れておいて、キルスティンのことだけ考えてたんだろうな。などと。

役のことをよく理解できる。とか、この役を演じるにあたってすごく感情移入できる。とかいうレベルではきっとその人のクセってのは魅力となって輝かないんだろう。