つながればよい

きょう。「カツモクエイガ」を観に来て下さっていて、『映画作りに興味があるので、お会いしたいです。』的な方と会合。
どぎまぎしながらも、春に撮影する映画の企画とシナリオを見せて、こちらの様々な意図を伝える。大旨、わかってもらえたようだし、映画とかそういうものに対する考え方にいろいろうなずいてもらえたので、ついつい脱線、長話。

で、このあいだ観た高校演劇のことについて。


観たのは3本。

「十四歳の国」(城北高校
上演時間に間に合わず5分程遅れて観ました。けれど「中学生教師」が「生徒」の「持ち物」を「検査」。「いない間に」というのはすんなり分るくらいのバランスの良さに感心。しかしながら全てに「」が付いているみたいでなんだかヘンテコな気分。それが狙いなのか。けれど、僕はきっとこの台本自体が嫌いなのだろうな。と思いながら観ていたら、決定的に嫌いになる出来事があってしまった。
誤解しないで欲しいのは、舞台全体に嫌悪を覚えたのではなく、そのお芝居の台本が当てている焦点。どうしてそんな風に「思える」んだろう。この作家さんは。と思ったのです。役者さんたちは堂々としたもので好感持てました。


「綴稿 銀河鉄道の夜」(富岡西高校)
『破稿 銀河鉄道の夜』というお芝居が有ります。そのお芝居をなんとか県大会でしようとする富西演劇部がいます。その空間を切りとったお芝居。
「カートのこころ」を一緒につくったりしたので、個人的な思い込みが入るかなあ。と思っていたのだけど、観た舞台3本の中で一番「そのまんま」が表現できていたと思う。ただ、通して観てみると「人死に」の部分がぷかりと浮いてしまう。思い切ってそこも淡々とやってしまえばよかったのかも。

「チープジャック」(城西高校
言葉では言い表せません。おもしろい。もしどこかで観る機会があるならば、是非見て欲しい。映像は負けた。勝ち負けじゃないけど、この舞台の瞬間野郎に負けた。畜生。

正直、高校演劇に人生を蝕まれたなどと逆恨みしていた自分もあるのですが。

今回外側から富岡西高校演劇部が本当に「無い」状態から部員自身の体と脳みそで何かを作ったという出来事を目撃できて嬉しかった。

きっとこの経験が、部員たちにも、顧問の先生にも、僕にも、お客さんにも何か次につながっていくと思う。演劇でなくても。シャープペン拾う瞬間とか、そんなのでも。

そうでないなら勝手にしやがれ。だ。