はなび

 近所の河原で花火大会をやっていた。編集作業を休めて、犬と祖母と花火を見る。

 さておとといくらいに記述したEさんのことを書きませう。先に断っておくが「おわりはおわり」エンドロールで特別感謝にEと出て来るがそのEとはまた今から書くEさんは別人である。

 五年前。僕は大阪の映画専門学校に通っていた。二年制の学校で、僕は新聞配達をしながら通ういわゆる新聞奨学生というやつだった。一年の頃から授業で制作する課題の企画が通りまくってしまい。同時期に二つの作品を手掛けることになったことがあった。しかもこれが初制作。その両方の企画について来てくれたのがEさんだった。Eさんは乙葉をスリムにした感じで、不思議な静岡訛りがかわいらしい当時25歳の女性だった。他スタッフへの気遣いなどもさすが25歳で、テキパキしたものでクラスではかなり人気があった。
 Eさんはミッシェル・ガン・エレファントが好きで、僕が入学時に自己紹介でミッシェルが好きなことを言ったのを覚えていたらしく、打ち合わせ時に一番に「私もミッシェル好きなんだよ」と笑いかけて来た。

 まあ、今でこそやれ女子が居ないだの、嫁が欲しいだの書いてるが、当時の僕は未だに高校の時の失恋を引きずっていて、Eさんが「かわいい」と認識しても恋愛の対象にはならなかった。よく、ミッシェルの話しをしていたせいか変な噂も出だして「あ〜・・・もったいないんだろうなあ・・・」と悔しい思いもしたもんだ。しかし、この頃よく通ってたファミリーマートのバイト女子とも何となく仲良くなっていて「好きなんかなあ〜」などと想像するだけでごはん三杯食べられるような(見る角度によっては)変態的な生活を送っていたので、Eさんには一切手を出さなかった。

 二年生になって、クラスが別になってもEさんはよく話しかけて来てくれた。へんてこな静岡訛りも面白いので卒業制作に出演して欲しいとEさんに頼んでみる。最初は嫌がっていたが、シナリオを読んでみる。というところまで譲歩させた。
 シナリオを読んだEさんは「面白いけど、私には難しいから、役者集めに協力するよ。もし集まらなかったら私がする」と約束してくれた。
 そして役者は集まらなかった。仕方無くEさんは出演を承諾。

 といっても、ほんの1シーンだけの出演なのでEさんの撮影日は一日だけ。それまでにたくさん撮影を消化し、いよいよ撮影も大詰めってところで、Eさんクランクイン日。共演者の僕と友人Nくん(彼も同じ新聞奨学生で鋭いセンスを持っていた)とで駅前で待ち合わせ。

 来ない。Eさんが時間を守らなかった事は無い。Nくんも承知だ。電話をかけてみる。出ない。というかすぐ伝言メッセージに。Nくんのアチャーという表情は今でも思い浮かぶ。

 仕方無いので、Eさん抜きで撮影は終了。設定としては夢の中で主人公(僕)がEさんにぼんやり話しをしているシーンだったので、「夢」というフリーダムな設定を利用して透明なEさんに僕が話しかけるという不可思議なシーンが完成した。
 そして卒業制作「傷は西へ葬った」完成。あの夢シーンが良かったのかどうか知らないが、審査を通った上に、天王寺シネフェスタでの卒業制作上映会に選抜されたりもした。複雑だ。

 Eさんはその間、様々なところで姿を発見した。なんと作品の審査をする合評会にも顔を出していたし、シネフェスタの上映時もいた。一体何がしたかったんだろう?僕に怒って欲しかったのか?もうその頃は顔も見たく無かったので完全に無視を決め込んだ。もう女の子なんて金輪際信じない。とファミリーマートのバイト女子とも距離を置いて、僕は就職もすることなく、卒業。大阪を後にした。

 このときの怨念が積もってネジ曲がって「見ている人間に最大の害を!!」と制作したのが「狭くて灰色で素敵じゃないか」これはPFFの一次審査を通過したものの、入選とまではいかなかった。なるほど見返してみると、本当に気分が悪い。「レイプはあかんけど、してはみたいよな」などという台詞もあるせいかぴあの一次審査員からの感想にとげとげしさも感じたし、これを見た女性は完全な拒否反応を起こしていた。それでも僕は「しめしめ」と思っていた。地元某大学の映画祭にも提出したが、見事大学幹部側の圧力を受けて上映禁止。音楽担当Oさんは憤慨していたが、僕はざまあみろ!と思っていた。

 しかし、これでは世界は縮小するばかりだろう。ざまあみろって芯だけは残して、この映画の感覚をもっと「突き抜けたモノ」にできないか?ということで考えられたのが「おわりはおわり」だった。

 ひどい目にあったが、Eさんがいなければ「おわりはおわり」完成は愚か、「傷は西へ葬った」も完成し得なかっただろう。やっぱり複雑だ。今、彼女は31歳か・・・。「ドラゴンボール」から素晴らしい言葉を送ります。

「おまえはもう、謝っても許さないぞ」

 ちなみに「傷は西へ葬った」はマスターが手元にありません。僕が出ずっぱりで気色悪いんで処分しました。僕以外の役者は本当に素晴らしいんですが。興味ある方はビジュアルアーツ専門学校大阪に問い合わせてみて下さい。運が良ければ残ってるかも?ちなみにPFF入選しても母校からは何の連絡もありません。まあ、そこがあの学校らしいところですな。