あたたかい映画

 黒澤明氏の映画をたっぷり見た。「用心棒」「酔いどれ天使」「赤ひげ」それまでに見たのは「野良犬」「天国と地獄」「七人の侍」「椿三十郎」「羅生門」「隠し砦の三悪人」「生きる」「夢」である。
 
 カラー作品は一本のみ。これは僕自身がモノクロ好きであるということもあるが。黒澤映画のモノクロはその照明量から分かるように、とても見やすいのだ。しかもその中にまるで彩色したような美しさがある。

 「山を削った」だの「太陽の沈み方に怒った」だの無茶な叱り方が有名だが、この監督は底なしに優しいのが作品を見ているとよく分かる。そうでなければ白と黒の色だけであれだけ人間の暖かみを出せるわけが無い。さらに見習うべきはその「優しさ」を表現をする為には自分の性格すらもねじ曲げる厳しさを持っていることだろう。

 一番好きな作品は「椿三十郎」17歳の頃初めて見て以来、毎年二回は見ている。好きな台詞は全部。好きなカットも全部。それだけこの作品は表現に徹底しているのだ。気分爽快でありながら、どこか影を漂わせ、そしてやはり最後には「暖かみ」がある。日本で一番おもしろい映画を見せろと言われたらどこの国の人でもこれを見せるだろう。

 また、よく原作に用いられる山本周五郎氏の小説も同じように底なしの「優しさ」がある。それは痛みを知った優しさであり、勝ち負けだけの世界を築き上げた人間に対する哀れみでもある。

 それらはごく自然に僕らの生活に根ざしていることだ。黒澤作品の映画役者は他監督作品では大根に見えても、名優に見えるのは、黒澤監督の演出がこの「自然」に徹底していたからであろう。自然を繕うのではなく、自然であること。あるドキュメンタリーで黒澤監督は武将達が立って話し合いをしているシーンを怒鳴りながら演出していた。
「そんな、人間がじっとして話しするか!?バカヤロー!!」
そうだよな。人間、じっと何かしていられないよな。

 その独特の間の取り方、狂い方、いいこと悪い事は全て僕らの生活の根っこにあるのだ。どんな無駄な行為に見えても、その人がそれをしている限り、人としてそのことは無駄では無いのだ。むしろ無駄な事程無駄では無いと言ってもいいだろう。

 誰にどう言われようとそういう目を、耳を、口を、こころを持った人間で映画を作っていたいものだ。