ねがい

 母が衰弱。姉が事故以来、ほとんど働きに行かなくなった。病気が原因ではあるが、その病気にさせた会社を訴える準備もノロノロしている。おまけに自分が休んでいるせいで給料が足らなくなっているのに、母に借金を迫る。断り叱ろうにも姉は病気を後ろ盾に泣き出し「死ぬ」と言う始末。「母さんを思ってくれてるんだろうか?一日も休まずたこやき焼いているわたしの気持ちも分かって欲しい」と嘆く母。

 人の気持ちなど分かってやれるわけがない。これはYとの一連の事情で分かったことだ。しかし、分かってやろうとすることはできるだろう。姉にはそれができない。しかし、それを責めても意味は無い。感情や記憶の回路がショートしてしまう病気の人間にそれを言っても始まらない。言わなくてもはじまらない。やるせないものだ。せめて自分の心で母のことを気遣うようにまでなって欲しい。

 と、この日記を書いていたら、何やら外でバイクの音が「ピザの配達でーす」???廊下にでると、仕事をさぼった姉がピザの箱を抱えていた。「死ね」と心から思ってしまった僕はまだまだ弱い。

 Yとの事情。晒すのは嫌だったが自己確認の為ここに記す。Yは僕との性行為で妊娠した。お互いコンドームでの避妊は確認したが、行為が終わった後、コンドームが取れてしまい、おそらくそれが原因だ。
 Yは自分一人で病院に行き、妊娠を確認。僕が様子がおかしいと思って詰め寄るまで、僕には教えてくれなかった。そして告知してくれた時には「今は産めない」と言われ僕は堕胎手術に賛同した。

 手術後には色々な間違いに気がついた。僕がYの意見を丸呑みしたこと。これは僕が「産まない」と言われたことに内心ホッとした部分もあり、また、Yの意見に添いたいという、Yの気持ちを分ってあげたい僕の思いもあってのことだ。あまりにも気遣いすぎた為、物事の本質を掴み損ねた。いのちの重さだ。手術後の別れる話し合いでYに手術時の苦しさを教えられ「産んでって言って欲しかった」と泣かれた時に僕はこの間違いに気付いた。(というよりもそのときは打ちのめされた)

 さらなる間違いはこの後起こる。僕はその後で「元気出して」と別れる事を承諾し、Yが欲しがっていたグラスをプレゼントした。Yは「ありがとう」と本当に嬉しそうに笑った。僕はこの笑顔を僕が取り戻すことが出来ると勘違いしてしまった。情けないことにその後何度も復縁を迫る僕。
 最期まで丁寧に断っていたYもとうとう泣き出して手術後、まだ処理できていなくて再手術したのを僕に黙っていたことを告白。僕はそれで何もかも切れてしまい、黙って帰宅しようとした。Yの要望でお互いの携帯のアドレスを消去する事に、僕は淡々とアドレスを消去するのをYに見せる。Yは泣きながら「付き合う前に戻りたいね」僕「時間は戻らないしなあ」Y「・・分ってる。・・・私が○○(僕)のこと捨てたのかな?」僕「そうだよ」
 
 最低である。どんな言い訳もできない.Yの痛みを思うことも許されないことだろう。僕は妊娠を告知されてからおろしてしまった赤ちゃんに名前を付けていた。あれから毎日一回はその名前を呼んで今日あったこと、これからのことを話しかけている。未だに返事はない。Yは別れ際「結婚して赤ちゃんが出来たら、私らの子の分も愛してあげて」と言ってくれた。が、出来るだろうか?Yは僕の気持ちを考えてくれたのだろうが、僕はしんどいだけだ。人が人の気持ちやつらさを考えてあげようとすればする程、溝が深まることがある。しかも自分の中でだけ。考えることも出来ず傷付けていく連中もいる。戦争、児童虐待、堕胎手術、DV・・・。どうかYに二度とそんな局面が訪れませんように。そして僕が最後にYに漏らしたねがいが叶いますように。「また会ったら、笑って話したいね」

 Yは「ほんとにね」と困ったようにうつむいていた。