ゾンビと人

久しぶりにこちらに。
とういうのも先程『ワールドウォーZ』を観て来て愕然としているからだ。
ネタバレも恐れず書くので、映画の結末経緯などを知らずに楽しみたい方は飛ばしてほしい。


まず原作はこれ。上・下巻の文庫版をオススメする。マックス・ブルックス著の所謂モキュメンタリー小説である。

WORLD WAR Z(上) (文春文庫)

WORLD WAR Z(上) (文春文庫)

アジア地方を発端に増殖した人を喰らい襲う「不死者」たち。それらの脅威は人間社会を転覆寸前まで追い込む。
辛くも「勝利」した人類たち。彼らの証言に耳を傾けながら、ゾンビ大戦とは何だったのか?を抉り出す傑作である。
傑作である理由は、まぁ面白いこと。
もっと穿り返せば、ゾンビ大戦中の世界というのは、何の事はない、今現在我々が暮らしている社会そのものなのだ。


金のために、感染者を亡命させる業者
金のために、感染者の臓器を移植する闇医者(といってもブラジルでは相当の地位を持っていて、警察は抵抗できない)
奇妙な大義名分を抱える大国は自国の責任を逃れるために、未感染国にゾンビの血液をばらまく
自分、自分、自分、
ニンゲンは自分だけのために、自分たちの首をしめている。
それを非常に面白く紐解いている。


で、映画だが。ブラッド・ピットが原作の映画化権を獲得し、映画化したもの。
原作が様々な主観で描かれるのとは一転して、元国連調査員ジェリーが原因不明のゾンビ増殖現象の究明に世界を駆ける物語となっている。
ゾンビたちの立ち振る舞い、その増殖の猛スピード。何気ない日常にすううっと差し込んでくるそれらの恐怖。これらのビジュアル化は凄まじい。
マーク・フォスター監督の「眼差し」に特化した演出はさすがである。


しかし、あまりにも脚本がお粗末である。
「ゾンビ」の究明に駆けるという押し出しは悪くは無いと思う。誰もが匙を投げ出す状況で「治療」「回避」を探る勇気は描く意義があるし、グッとくる。


しかしそれに奔走する主人公へのしかかる事象、事情がルーティーンすぎやしないか?
基本的にはこれの繰り返し。辿り着く、ゾンビがいる、やばいやばい、生き残りが助けてくれる、どうしようか?あそこに行こう、よし行こう、ガチャーン(もしくは携帯プルルルル)、わぁ大変だゾンビが音に寄ってきた、すごい量だ!無理無理無理!、場面転換、主人公の奥さん「あなた…電話に出て」(お前が電話かけるからだろーが!いや、電話渡す方が悪い!)

そしてあまりにも地味過ぎる、3人メタルギアソリッド状態の研究所探検クライマックス。いや、100歩譲って地味で退屈なのは譲ろう。勇気振り絞っただけで、「ウィルス」が丁度いい具合に効きましたー。ってアホか。そりゃ現実にはそんなこともあるでしょう。でもね。これフィクションですよね。敢えてそうしたんですよね。勇気を振り絞る姿は美しい。それがテーマなんでしょうかね?いや、それでもいいですよ。でも、そう感じなかったよ。どうすんのさ。
せめてジェリーの家族想いや、人を思いやる気持ち、そこから来る行動が何かその特定のきっかけになるとか。
下手したら、家族は愚か人類が一瞬で滅びてしまう。とか。
枷なり、伏線なりを工夫しておくれよ。
観ている最中感じた事は「おっさん!いい加減に物音にきをつけてくれよな!何回もの音たてるんだよ!ころすぞ!」ってこと。
奇しくも映画を観ている最中、隣のおじさんは自分の噛んでいるガムの包み紙をきしゃきしゃこねくり回していて、実在の人物にもそう思っていたので、これは案外気持ちがライドした。
って、それではあかんでしょう。


仄かに終戦というか開戦を示すラスト。これも全然気持ちがノレナイ。


原作では世界各地での軍事責任者があるプランを実行する。「レデカー・プラン」である。
これは端的に言うと、生き残りたければ、人類の何%かは切り捨てる。切り捨てのニンゲンは囮、ゾンビ選別などなどの為に「利用」すること…という計画である。
これらと地道な労働(武器、食料確保などなど)を重ねて、人類は辛くも「勝利」する。
しかし証言者たちの生々しい経験談から我々読者は感じる。
「果たして、それは『勝利』なのか?目の前には切り捨てた友の屍がある。横たわっているのではなく、歩いているのだ。自分の肉を求めて。それを断つために、我々はまた武器を手に取る」
そして反面『勝利』の意義も感じる「産まれてくる子供たちに『敗北』だけの未来をみせていいのか。示すべきは、困難に打ち勝てることができるニンゲンの意志ではないのか?友の屍に、恋人を食い殺されるのを待つ未来などまっぴらだ」
これらの葛藤が未だ起こるとは思えない荒唐無稽な未来像からまさに眼前に迫る迫力と美しさで押し寄せてくるこの感情。


これらの感情を持たせるものがこの映画には無い。言い切る。無い。



推察だけで書くのは嫌だが、かつては仲間だったものが襲いかかってくる。考える時間もない。そんな不安を感じる人間よりも、
「うーうー」呻いて襲いかかってくるだけの得体の知れないバケモノをたんとだせば「ホラーファン」「ゾンビ好き」は喜ぶんだろ?
と鮨でもつまみながら、脚本や編集まで製作陣が手を加えまくったとしか思えない。

ぼくはブラッド・ピットの出ている映画がすきだ。
マーク・フォスター監督の映画もすきだ。
なぜなら、
彼らはきっと自分だけでなく、自分たちのことを考えること。それこそが世界の首をしめずに、弱っているひとたちに手を差し伸べることができる。(『ネバーランド』を観て思った)
ほんとうのくそやろうとは何なのか?示してやろうぜ!この手で(『イングロリアル・バスターズ』を観て思った)
と思っているひとたちに違いないからだ。
彼らがこんな素晴らしい原作を手にしたのに。こんなかなしい結果になってしまったなんて、
ほんとにかなしい。
看過できない。
だから長々と書いてしまった。すみません。でも、ばっかやろーい!